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2005-08-05 18:18:00

『北海道新聞朝刊』 平成17年(2005年)8月5日

<ひとフロンティア>金谷年展さん(42)*慶大大学院助教授*

 その店のドアを開けると、ガラス張りの床の下はバラの花で埋め尽くされていた。落ち着きのある暖色系の明かりに照らされた店の“中庭”には著名な書家やアートデザイナーの作品がしつらえられている。

 「世界一の北海道の食材を味わうのにふさわしいステージに」-。六月下旬、札幌・ススキノに飲食店「北海道市場」をオープンさせた金谷年展さんは、新しい店にそんな思いを込めた。

●一級品で勝負

 二年前に道産食材を使った大衆料理を出す「北海道食堂」をススキノで開業し、月商一千万円を超える成功を収めている金谷さんは、「-市場」では一転して道産食材の潜在力を最大限に引き出す高級料理で勝負しようと考えた。

 積丹のキタムラサキウニや礼文島のエゾアワビ、日高のツブ貝といった海産物をはじめ、牛肉、チーズ、コメなど、店で出す食材はすべて道産の一級品にこだわった。「価格を抑えるため宣伝費はかけていないが、口コミでお客さんは着実に増えています」

 金谷さん経営の飲食店は札幌、青森、仙台三都市の計九店舗。「ラーメン店から居酒屋まで各店のコンセプトは違っても、調味料を含む食材で『地産地消』を徹底している点は同じです」。自信にあふれた表情は、野心家の若手事業家そのものだ。

 しかし、普通の経営者とは違う点がひとつ。それは金谷さんが、慶大大学院助教授の肩書を持つ環境・エネルギー問題の専門家ということだ。

●食の「植民地」

 最近の活躍は実に多彩だ。大学助教授としてテレビや新聞、雑誌にコメントし、コンサルティング会社の経営者として官庁の政策や企業の商品開発に助言する。著述家としては「メルセデス・ベンツに乗るということ」「カタツムリが、おしえてくれる!」などの著書を相次ぐベストセラーにした。

 これらと一見無関係なサイドビジネスのように見える飲食店経営だが、「とんでもない。循環型社会を目指すという点で他の活動と一つにつながっているのです」。

 きっかけは青森県立保健大助教授に招かれた一九九九年のことだった。青森には大間のマグロ、陸奥湾のホタテ、田子のニンニクなど世界に誇る食材がたくさんある。ところが赴任してみると「有名なニンニク料理屋は中国産を使っているし、大間の一本釣り本マグロはすべて東京に直送されて地元では食べられない」現実に気付いた。

 県の審議委員に選ばれたのを機に、「地産地消」こそ地場産業の活性化とエネルギーの節約につながる-との提言をまとめたが、今度は「役所のビジョンで世の中は動かない」というもう一つの現実を思い知った。

 「それならば」と自己資金五百万円を投じて青森市内に地産地消のラーメン店を開業すると、一躍人気店に。学生時代を過ごした仙台、出身地の札幌…。愛着のある土地だからこそ「食の植民地」状態を変えたい。「そのために、提言するだけのシンクタンクではなく、行動を伴うドゥー(DO)タンクでありたいんです」

●無念を晴らす

 コンサルタント業務と飲食店経営を合わせ、来年には年商十億円を見込む。その経営手腕には「学者の理論」を超えた「何か」があるようにも思える。

 祖父の貞二さん(故人)は、出身地の福井で事業に失敗し、夜逃げ同然で北海道に渡ってきた。ところが、札幌で創業した自転車店を十数年かけて成功させると、踏み倒した借金をわざわざ福井に返しにいったという。感激した債権者の一人が、松下電器産業系のナショナル自転車工業を紹介してくれたことで、道内総代理店の地位を得ることに成功する。

 後を継いだ父の貞一さん(72)は、自転車卸売業を拡大する傍ら、マウンテンバイクの普及活動に努める行動派でもあった。だが中国からの輸入品に押され、十年ほど前に廃業を決断せざるを得なくなった。

 金谷さんは祖父の生き方に学びながら、自分が店を成功させることで、事業の継続を断念した父の無念を少しでも晴らしたいと考える。「やはり私には商人の血が流れているようです」

(浜中淳)

<略歴>
 かなや・としのぶ 1962年、札幌市生まれ。札幌南高卒、東北大大学院理学研究科博士課程修了。90年富士総合研究所入社、97年に独立し、青森県立保健大助教授を経て、2002年から慶大大学院政策・メディア研究科助教授。燃料電池への造詣も深く、道の水素エネルギー資源利活用調査検討委員会委員など公職は20を超す。

 

【写真説明】東京、札幌、東北を飛び回る日々。2人の子供とはメールでの会話が多い。「携帯電話という文明の利器に助けられています」=札幌市中央区南5西2、「北海道市場」


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